「似非歴史シリーズ」の版間の差分

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「タナイチ」・「タナオカ」とは違い、新カプ推進派と岡宮信者によって治められた「オカイチ」の異質性・自主性が
「タナイチ」・「タナオカ」とは違い、新カプ推進派と岡宮信者によって治められた「オカイチ」の異質性・自主性が
「三ホモ一致」の最大の障害となることは明らかであった。  
「三ホモ一致」の最大の障害となることは明らかであった。  
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==『微差栗(びさぐり)』==
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秦朝時代、陳勝・呉広の乱をきっかけに広まった反乱でとある秦軍の城が窮地に陥っていた。将軍は都に向けて援軍と食糧を送るよう要請するが、宦官の趙高はただ「抗戦主義」の掛け軸のみ送りつける有様だった。
やがて食糧が尽きて飢えが兵士を襲う中、城内の角に不自然に栗が置かれているのを見た将軍はそれを細かく切って兵士に分け与えた。
栗は何度も置かれていたために誰かが我々を助けようとしているのだ、と感じ取った将軍はその人物を探し出そうとする中、一人の兵士が食糧確保のために狐を射殺した。
狐の手には栗が握られており、それを見た将軍は「お前だったのか、俺たちに栗をくれたのは」と嘆き悲しんだ。
望みを絶たれた将軍は降伏したが、後に劉邦の軍勢に加わって名だたる将となった。後に将軍は「微かな命を狐が差し出した栗が繋いでくれた」と、狐を後々の代まで祀ったという。
後に日本の国語の教科書の定番の題材となった新美南吉氏の『ごんぎつね』はこの故事を元に書かれたというのは有名な話であるが、今では現場で苦しんでいるのに上司が助けてくれない状況を微差栗と揶揄することが多い。
民明書房刊『腹が減っては戦はできぬ 戦争における補給線の重要性』より
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==『田無場(たなしば)』==
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墾田永年私財法が成立した後、藤原謙介という貴族はあちこちで田を開墾し私有地としていった。
ところがあまりにもの強引な手法で開発が進められたために法を停止しして、墾田を没収しようという動きが起きた。
そのため謙介は開墾した土地のあちこちに「田無場」という地名をつけて田で無いことをアピールし、没収を免れたという説話がある。
後に謙介は田から得た利益を元に遣唐使船の建造事業に着手してさらなる莫大な利益を手にするが、菅原道真の遣唐使廃止とともに謙介一門は没落した。
なお近年の研究で謙介は「田無場」以外にも「芝生地(しばふっち)」という地名をつけていたことが判明し、現地との関わりについての解明が期待されている。
民明書房刊「土地活用の日本史」より
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民明書房刊「実録!ザ・シゴキ」より
民明書房刊「実録!ザ・シゴキ」より
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==事実確認ごっこ==
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マルコス独裁政権下のフィリピン共和国の若者の間で、マルコス大統領とイメルダ夫人を揶揄する遊びが密かに流行っていた。
内容としては主に二人の性的行為についてジョークを語って最後に"really?"(マジ?)と問いかけて、聞いた相手は"That's true."(マジ)か"That's false."(ウソ)と返事してからさらにジョークを返すというものである。
この事実確認ごっこは鬱屈した若者の何よりの憂さ晴らしになっていた。
時同じくして第二次大戦で生き延びた日本兵が潜伏してゲリラ戦を行っていたが、彼らは敗戦を受け入れず抵抗を続け、時折在比米軍に対してマッカーサー元帥を罵倒するビラを配っていた(いまだにマッカーサーが
フィリピンを支配していると思いこんでいた)。ビラは米軍兵士の尻吹き紙に使われたが、その一部がフィリピンの若者に伝わって事実確認ごっこの材料にされたこともあったらしい。
民明書房刊「フェイクニュースの時代を生き延びるためのファクトチェック」より
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