「似非歴史シリーズ」の版間の差分

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  民明書房刊『中国僧の知られざる修行』より
  民明書房刊『中国僧の知られざる修行』より
==『撫太郎(なでたろう)』==
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江戸時代後期の穢多頭(えたとう)で、その名の通り穢多身分の元締めとして上海有栖村(じょうかいありすむら)の屠殺業と皮革業を取り仕切っていた。
卑賤身分であったために村民からは忌み嫌われ本人も自分の境遇に嫌気が差し、やがて村にある東国地方一帯の崇敬を集めていた博麗神社の神主を逆恨みするようになっていった。
その折、手泣火大神(たなかおおみかみ)と伊治祖命(いちそのみこと)を布教せんとする角川大社が村に進出してきた。神官たちは上海有栖村に大社を移転しようとして
博麗神社を潰そうと企んでおり、その企みに撫太郎は乗っかった。
撫太郎は穢多身分の者とともに博麗神社の誹謗中傷と角川大社の利益を説いてまわり、一時的にではあるが村の大半の人間を改宗させることに成功する。この功績で大社から
多数の信奉者を得た男ということで「得多漢(えたかん)」という名前を与えられた。
しかし角川大社の強引な布教に業を煮やした博麗神社の氏子たちは藩主に直訴し聞き入れられ、役人の手によって撫太郎は多数の穢多、神官とともに捕縛された。
撫太郎は十日間に及ぶ拷問の末に死亡し、遺骸は細かく砕かれた上で埋葬され「玄田牛一」という差別戒名を与えられて粗末な墓を建てられたという。
部落差別撤廃が叫ばれる現在でも上海有栖村では撫太郎のことを「穢多漢」と呼んで憚らず、そのせいで部落解放同盟から糾弾の対象となったが逆に「解同には10万人の
撫太郎がいる」とネットで拡散を呼びかけ、徹底抗戦の構えを見せた。そのせいで部落解放同盟の実態が明らかになりつつあるという。
民明書房刊「差別反対の声は次の差別とともにやって来る」より
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==脚注・出典==
==脚注・出典==
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