「艦国志」の版間の差分

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(ページの作成:「==艦国志演義あらすじ== はるか昔の厨華大陸、小国が乱立する戦国時代を経て角国の角源義が全国統一を成し遂げ皇帝となり…」)
 
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  淫王朝後期の歴史学者。艦国志演義の描写に疑問を持ち、正史と他国の歴史書を照らしあわせて演義の誤謬を指摘、正史を正しく理解してもらおうと「艦国志読解」という注釈書を著した。
  淫王朝後期の歴史学者。艦国志演義の描写に疑問を持ち、正史と他国の歴史書を照らしあわせて演義の誤謬を指摘、正史を正しく理解してもらおうと「艦国志読解」という注釈書を著した。
  しかし演義読者からは「史実警察だ」との批判が上がり、実家に放火されるぐらいであった。この事件がきっかけで山奥に篭もってしまい、「いつの世にもどこにも田内治のような者がいれば」と民衆の愚かさを嘆いたという。
  しかし演義読者からは「史実警察だ」との批判が上がり、実家に放火されるぐらいであった。この事件がきっかけで山奥に篭もってしまい、「いつの世にもどこにも田内治のような者がいれば」と民衆の愚かさを嘆いたという。
==艦国志武将列伝==
<u><font size=4>'''''謙介(けんかい)'''''</font></u>
艦国志の中心人物。角王朝のいち武将として反乱軍の鎮圧にあたり、一時的に東国の首都上海を陥落寸前まで追い込む。その裏で帝位簒奪を目論むが失敗し、逆に暗殺されそうになる。
そして角王朝に反旗を翻して艦帝国を立ち上げ、自ら簡悔大皇帝を名乗る。しかし度重なる戦争で民は疲弊し、また愛妾の李稚蘇姫に溺れ政を顧みなくなってしまった。
最後は反乱勢力と和平を結んだ角王朝連合軍によって鎮守府の戦いにて戦死。肛門を槍に貫かれながら「龍の最期忘れじ」という角王朝を呪う言葉を吐いて絶命したという。
その通り、角王朝は再び反乱により四分五裂して暗黒時代を迎えるのである。
商才があり、軍資金調達能力に優れていた。また「謙兵」と呼ばれる自前の密偵を多数雇っており、不満分子を見つけては無実の罪を着せて民衆に晒した。文化大革命における
紅衛兵と同じやり方で、紅衛兵もまた「今謙兵」として恐れられていた。
<u><font size=4>'''''太田(たいでん)'''''</font></u>
「同人」と呼ばれた異民族の中の東方族の長。型月族、日暮族とともに大陸に移住し幻想郷と呼ばれる山奥でひっそりと暮らしてたが乱が勃発すると幻想郷に移住する難民が続出し、
見かねた彼は角王朝に成り代わり乱を平定するという名目で決起。東国を立ち上げる。最低限の統治機構を備えるだけで国による民への介入を極力控えるという国家運営は歓迎され、
たちまち勢力を拡大。相益国、美空国とともに三国時代を形成した。謙介の度重なる東伐をも退け打倒角王朝への期待が高まる中、病に倒れ帰らぬ人となる。一説には好きな酒が
祟っての脳出血と言われている。彼の死により東国は乱れに乱れ、混乱の中で自然消滅した。
艦国志を扱った講談では悪役として語られることが多く、講談を聞いた子供たちは謙介が負ければ涙を流し、太田が負ければ大喜びしたという記録が残されている。
<u><font size=4>'''''松下(しょうか)'''''</font></u>
東国の武将、後に角王朝に帰順。太田より賜われた短剣「咲夜」を器用に操ったことから「好咲夜人」の異名を持っていたがたびたび部下とともに問題を起こし、鼻つまみ者にされていた。
それを知った謙介により金と女で懐柔されるとあっさりと裏切り、第一次東伐では先陣を務め東国に多大な損害を与えた。ただしその代償として「好金女人」と世間の笑いものになった。
そんな彼に謙介は大軍を与えて手厚く扱ったが、戦況が苦しくなってくるや否やあっさりと他国に裏切ろうとするなど見苦しい面を見せ、ついには部下に暗殺されてしまった。
よほど彼の所業が腹に据えかねた者がいたのか、正史「艦国志」や「東国史記」の原本に彼の記述に関して第三者が塗りつぶした形跡がある。
<u><font size=4>'''''日供(にっく)'''''</font></u>
東国の武将。徴税品の輸送を担当していたがある日、度重なる悪天候の煽りを受けて期日までに届ける不可能になってしまった彼は処罰を恐れて徴税品ごと角王朝に下ってしまう。
謙介は彼の口から「東国は警察だらけで民衆は怯えに怯えている」と言わしめプロパガンダに利用した。だが松下と違って積極的な理由で降伏したわけではなく、東国に許しを請おうと
たびたび情報を流していた。最後は帰還を許されたが東伐のきっかけを作った人物として冷遇され、最後は鎮守府の戦いの前に「供という名がある」という理由で神への生け贄として殺された。
楽天家で「お気楽日供」と呼ばれていたらしい。
<u><font size=4>'''''才羅洲(さいらす)'''''</font></u>
角王朝の武将。確かな戦略眼を持ち第四次東伐の上海攻略戦では誰しもが勝利に疑いを抱かず浮かれている中、彼だけが兵士数の不足と複雑な地形から苦戦を予想していた。
戦況はその通りになり東国軍のゲリラ戦法に苦しみ兵糧を焼き討ちにされて撤退を余儀なくされる中で、彼の軍だけは予め兵糧を節約し保管していたおかげで長期戦に耐えることができ、
殿を見事務めあげることができた。しかし謙介は「他部隊に兵糧を分け与えなかった」として彼を責め立てて更迭。以降前線に立つことはなかったが陰ながら艦国軍を支えていた。
艦国が遺した資料には誇大妄想と過大な記述が目立つが、彼の資料だけは記述が正確で、艦国志編纂に大いに役立った。その功績から太田は彼を登用しようとしたが固辞し、
代わりに退職金代わりとして田畑を貰い一農民として悠々自適な生活を送ったという。
「謙介に才無く、故に才用いず」という評価の通り、彼が冷遇されていなければ戦況は違った方向に動いていたと思われる。
<u><font size=4>'''''智易空(ちえきくう)'''''</font></u>
元東方族の文官で、儚月庄という土地の処理問題で太田と対立し離脱、史家の虚淵玄(きょえんげん)の元に身を寄せる。
しかし彼とも対立し、愛益国に旅立つが住民に馴染めず流浪生活を送る。そんな時彼を拾ったのが謙介であった。
謙介のプロパガンダに積極的に協力したが彼が欲しかったのは角王朝の旨味だけであり、謙介が艦帝国を立ち上げるやさっさと裏切った。
結局、角王朝と東方国の和解に際し捕らえられ、東国武将春河に頭を叩き割られて処刑された。
彼の最期は艦国志演義第三十七回「東国角皇帝と講和し、易者遂に誅殺さる」の描写が有名である。
※注 艦国志演義における智易空の最期
   打倒艦帝国で利害が一致した角王朝と東国は講和を結んだ。その条件として謙介のプロパガンダに協力した智易空を処刑することになった。
   縄で縛られ太田の元に引き出された彼は「もう二度と策をねることはしない、さあ俺を自由にしてくれないか」と命乞いをした。太田は春河にどう思うか尋ねたところ、
   「彼を用いれば戦争は一年で収まりましょう。彼を解放すれば戦は十年続くでしょう。彼がこの世にいなければ戦はなかったでしょう」
   と言って剣を抜き「刃がもったいない」と顔色ひとつ変えず、峰で智易空の頭を叩き割り殺した。
   春河の無慈悲ぶりに敵味方問わず震えあがったという。
<u><font size=4>'''''春河(しゅんこう)'''''</font></u>
東国の女武将で、吾妻谷(あずまや)とともに双璧と讃えられた。無名ながら武将に抜擢されるや獅子奮迅の活躍を見せ、謙介の侵略を跳ね返した。
彼女は腕っぷしが強く、剣の峰で敵の頭を叩き割ることができた。易者こと智易空を処刑したのもこのやり方である。


==艦国志の主な勢力==
==艦国志の主な勢力==
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